今日は敬老の日である
どうもシルバーシートというのは、そのことと関係があるようだ
ウィキペディアによると。
「日本で本格的に行われたのは、1973年(昭和48年)9月15日(当時の敬老の日)より旧・日本国有鉄道(国鉄)により「シルバーシート」の名称で中央線快速を始めとして東京・大阪の国電区間に順次導入され、私鉄でも同日に伊豆箱根鉄道駿豆線・大雄山線両線で、シンボルマークのデザイン等を流用して同名の「シルバーシート」として使用開始された[21]のが始まりである((和製英語:silver seat)として一般名称化して、同じく和製英語として高齢者を意味するシルバーも一般名称となった。)。」((https://ja.wikipedia.org/wiki/優先席 参照 2024年9月16日))
とある。
結構古いもののようだが、これは世界的にも使われているみたい。日本が海外の事情を理解したのかもしれない
これが、今回のテーマである。
強烈な経験が、最近いくつかあったからだ。それは、もめ事とは縁遠いものであるから、よけいしみじみ考えさせられている。
先々回のブログで述べたように、イギリスに行ってきた。そのときのスコットランドの小さな空港での話。小さいといっても、ネス湖の近くでイギリスでは重要な場所のようである。神戸空港くらいの面積で、飛行機の離発着は神戸より多い気がした。ロンドンや近隣の諸島からの軽飛行機やロンドンに帰る人たち用ある程度大きな飛行機の需要のある活気ある空港(神戸空港にはすいません・・)だった。
そのときのピクトグラムは日本と同じだった気がする。あの、高齢者、障害者、妊婦や子連れなどである。高齢者が座れる目立つ黄色のシートの後ろの壁に貼ってあった。それは空港への入り口玄関や総合案内所のすぐ横のトイレ出入り口横にあった。
私と70代後半のI氏ご夫妻は、出発待ち約1時間もありトイレに入りさてどこに座ろうかとみると目の前に座り心地のよさそうな黄色いそのシートがあった。誰も座っていないしシート数も5,6席があったし、他の待合シートは見当たらなく思った。実際ははるか遠くにあったのだが、気づかなかった。
もちろん日本では敬老である私がまあいいかと座り、トイレから同じように出てきたI氏ご夫妻も座った。
突然、トイレ横のスタッフ扉から二十代後半の精力的な女性空港スタッフが出てきた。私たちを見るなり、すごい剣幕で訳のわからない異国の言葉(もちろん多分英語、スコットランド語ではないだろう・・・)で猛然とアテンションを連発する。怒られているのだ。
まあ、座り心地がよすぎるとは思っていたが・・・。
言い返すこともできず、英語もできないけど、この地方では、障害や目にみえる高齢の弱者でないと座れないかと、オドオドするばかりであった。
まあ、ずうずうしく振る舞う年齢のいった元気な東洋人たちと捉えたのであろう。
ピストンのような言語を発生した最後は、遠くの窓際に見える10席くらいの一般席を指さしたので、仕方なくすごすごとそこまで歩いた。
そんな経験が、心に残った。
そのまま、先日の移住まで地方の会社の本店住所で活動をしていた。
さて、神戸に住もうと決心しLCCのピーチで移動した。着く空港は、関西国際空港、海に浮かぶ1994年9月4日開港の沖合5kmの人工島にある。
簡単にいうと開港30年になり、こちらの新聞では特集記事が出て実態がよくわかった。
なかなかその運営に苦労してきたみたい。今はコロナが過ぎて、外国人観光客のインバウンドで結構ごった返している。LCCの利用が多い。
LCCは空港の隅の、第二ターミナルに飛行機もリムジンバスは着く。建物も簡素、飛行機から降りようとすると、駐機場を歩かされるのは当たり前。初めては、訳のわからないまま新潟からピーチで第二ターミナルについた。さて、その帰りであるが、リムジンでピーチに乗ろうとして、この人工島を神戸三宮から向かったのは、5年前だったかな。
リムジンは、第一ターミナルから荒れ地を走るばかり。そして何とか空港外れの安普請の掘っ立て小屋に着いた(失礼)。愕然とするくらい、伊丹や関空第一ターミナルとはランクが落ちる。
しばらくLCCは使わなかったが、安いという便利なこともありそれ以来は、5,6回も使っている。
さて、先月22日に神戸入りするに当たり、今回もピーチを使った。安かったからだ。
着いてから、関空から神戸三宮に向かった。リムジンは高いから使わないで、南海鉄道の快速電車と阪神電車快速の乗り継ぎである。リムジンの三分の二の移動費用であるが、時間と手間は2倍近くかかる。それはさておき、午後3時頃の南海電車の中、始発プラットフォームで出発待機電車に乗った。
いわゆる、優先シートの隅に大きなスーツケースを抱えて座れた。次第に車内は混んできて、優先シートも埋まってきたが、目の前の優先席3人席の2席が空いていた。そこへ、20代の男女2人のアメリカ系の人が乗ってきた。カップルの日本旅行であろう。トランクを抱えている。
空いている席に近づいてきて、座ろうとしたがPriority seatsとピクトグラムを見て取ると、ノーといいあってすぐ近くのトランク置き場に立っている。そのまま、電車は発車した。
発車する寸前だったと思うが、営業マンか自由業のような短いほおひげを生やした知的な40代前半の男性が当たり前のように、くだんのPriority seatsに座ったのだ。もちろん降り場の大阪難波まで悠然と1時間弱座っていた。
私は、この極東の島に約1億の人間の一人として住んでいる、この島々の文化を知っているけれども少しは恥というものも解しているつもりだ。ああ、日本を訪ねてきたお二人の訪問者はその当たり前のように座っているひげ面の斜め横に立ちっぱなしである。夜通しの飛行機に疲れて日本に着いただろうに。
イギリスの北の端の空港の件が、心をよぎり、つらかった。
15分も20分もしただろうか、堺駅の手前で近くのシートが2席空いて二人はそこに座った。自分が一番ほっとしたきがした。少し嬉しかった。
そんなこともあり、神戸で電車に乗ると空いていればの話だが、いつも優先席に座るようにしている。そして、その様子を観察すると、ほとんど90%以上はこの状況は同じだ。日本人は当たり前のように、Priority seatsに座る。若くても働き盛りでも。私も一万歩以上歩ききつい時があるが譲ってくれる人はいない。
時々、Priority seatsを遠巻きにすることはあるが、それは何人かが気にして互いに牽制することがあるだけである。席を譲る人を見ることは、希である。
あるとき、例の外人カップルと同じことが起きた。元町だかどこかから東南アジア系の女性2、3人が入ってきた。目の前のPriority seatsは繁華街で人が降りて空席が広がっていた。その人たちも座れるかと思い近づいてきたが、漢字でわかったか、ピクトグラムでわかったのか首を振って元のドア際で立っていた。
とても悲しいような、そして遠くで生まれ日本に住んでいる人たちについて希望が沸き立つような心持ちにもなった。
一度このことは、ここに記しておきたいと思っていた。
2024年 敬老の日記 写真は、灘区摩耶駅付近から六甲山(脈)を臨む
神戸の街は、奥にみえる六甲山麓と海岸の間の細長い斜面に瀬戸内海に沿って広がっている。もちろん六甲山の裏は平野が広がり水田地帯もあるが、迂回して電車を使うこととなる。
その東西の広がりは傾斜が急だから、歩け歩けか、車しかない。
だから、高低差は自分の足が大切さ
この奥の六甲山の麓の際から約1km下に住んでいる