11代目のブログ

無聊

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政治の世界をみると、なかなかである

反面、孫の世界をみると、これもなかなかである

孫の世界をのぞいてみた
孫は、今二歳と六歳 つばさとはじめという ツーちゃんとハジくんといいあっている
のぞけているのは、”みてね”というSNS写真集である

パパが、ツーちゃんの隣にいきたいな、というと
こっちはママ こっちはハジくんという
二歳にして考えているもんだわ パパは枠外か

いくつものブログを書いてきたが。すこし間違えている気もしてきたな・・
それは、生きてきて確かに様々な思いとか哲学的な考えとか、社会学的な考え方とか、人間社会での立ち回り方とか、それはいくつも書いてきたが 

つまり、としよりの知恵は書いてきた

しかし、若さの持つ、未熟さや力強さを書いてはこなかった

政治の世界をみてみると、さらに、そこがどうなのかと思えるのかも知れない

なぜ、そんなことを書き始めたかというと
ひまだからだ というか ねばならない、という仕事はないからだ
そこが、社長のいいところだ
あるルポルタージュをみていた

ある少年院で、点字を矯正教育のひとつとしていた まずは、専門家の下で絵本の点字化をしている おおよそ100冊近くまで進めてきているという

そのボランティア専門家が、少年に、”絵本”をするよ、と話したら絵本って? 何? という答えが返ってきたという 小さい頃親から絵本を読んでもらったことがないと言われたみたいだ

未熟さは素晴らしい可能性をもっている

それを伸ばすことができているだろうか

国会でヤジばかり飛ばすことも一つの方法であるだろうが

三宮を歩いていたり、電車で見かけたり、老若男女の生きざまやすがたはさまざま

そんなことを、寝ぼけまなこで考えてみた

写真 こんな感じの未熟の可能性がある絵 左からママ・二歳・六歳 描いたのは六歳

新しい世界を構築してきたのは誰たちだろうか

若さだろうか 経験だろうか

それは、発揮する場所というか世界の違いか

UUUM

追伸 六歳の子 顔には鼻を描かないんだそうです 本人いわく「鼻がでかいからいや」なんだそうです(^0^) それは相対的なことなんだけどなぁ・・