昨日帰ったら、ご近所様が家人と楽しく話しをしていた。疲れて帰ってきたが、隣の席に座れとご近所様が示す。
元々そこは俺の席だと思ったが、それは言うまい。
そのうち、神戸の話しになり、家人が「おしゃれな人が多くていいわね」、となった。
家人は金もなく年金生活なのに。ご近所様のお金持ちのご婦人に、貧乏企業主の私がどうもその例示をしなければならないようだ。
神戸三ノ宮に近いとはといっても、2駅遠い灘区のある駅の近くに息子夫婦は住んでいる。
あるとき灘駅前のこざっぱりした町並みの、普通のコンビニやまあまあ個性的な店が並んだ歩道を白づくめの七十代の男性が杖をつきつつゆったりと歩いてくる。杖はなくとも健康に歩けるような姿勢だが・・。気にしないですれ違ったときに、男性のジャケットに気をとられた。麻の上品さ。帽子、ではなくハットもこれは常ざるものとは違う感じ。
お金持ちなんだと思わざるを得ないが、それはわからない。小生はユニクロ、とてもリーズナブルで気楽に着こなせられる。しかし、それとは違う着こなし、違いがわかる。
そんな街に孫がいる。孫に会いに行くたびにその街の良さを感じるが、逆に美味しい食物の素材と季節感をいつも味わえる、この私のいま住む地方も大切な存在と、夜行高速バスに乗りながら想うことが多々である。
幼い孫であるが、ストリートピアノを弾かせるようにメチャブリした。孫はビビりなので、前見て後ろ見て、キョロキョロしたが何とか弾いた。以来、ビビりながらもときどき弾くみたい。
神戸は色々なところにピアノが置いてある。音楽は、人生を豊かにすると『NHK』の例の番組の演者が話すが、弾いている人はそうかも知れないが騒音と思えることもある。演者の上手下手でなく、狭い場所での反響音と駅の放送や人混みの騒音がミックスしすごいからだ。孫のは静かな地下街のグランドピアノ、弾くのは30秒以下だからまあ我慢してもらえるかも・・。
孫よりまわりにはすごい子がいる。それはそうかも知れないが、単純に人生の助けになって欲しい、爺さんの祈りだ。
しかし神戸は、なにか東洋のミラノみたいな気がする。
若い家人の1人は、沖縄の人である。あんなに人気のあるスポットで成長した人であるが、神戸の眺望とたたずまいは魅力的と思っているみたいだ。
次は、海の向こうのお話しでも書こうかなあ。わずかな経験でしかないが・・・。
写真:この地方の海と山と空の風景by孫五歳 (2023年8月撮影)2023.9.10日記