11代目のブログ

無聊

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政治の世界をみると、なかなかである

反面、孫の世界をみると、これもなかなかである

孫の世界をのぞいてみた
孫は、今二歳と六歳 つばさとはじめという ツーちゃんとハジくんといいあっている
のぞけているのは、”みてね”というSNS写真集である

パパが、ツーちゃんの隣にいきたいな、というと
こっちはママ こっちはハジくんという
二歳にして考えているもんだわ パパは枠外か

いくつものブログを書いてきたが。すこし間違えている気もしてきたな・・
それは、生きてきて確かに様々な思いとか哲学的な考えとか、社会学的な考え方とか、人間社会での立ち回り方とか、それはいくつも書いてきたが 

つまり、としよりの知恵は書いてきた

しかし、若さの持つ、未熟さや力強さを書いてはこなかった

政治の世界をみてみると、さらに、そこがどうなのかと思えるのかも知れない

なぜ、そんなことを書き始めたかというと
ひまだからだ というか ねばならない、という仕事はないからだ
そこが、社長のいいところだ
あるルポルタージュをみていた

ある少年院で、点字を矯正教育のひとつとしていた まずは、専門家の下で絵本の点字化をしている おおよそ100冊近くまで進めてきているという

そのボランティア専門家が、少年に、”絵本”を点字化するよ、と話したら「絵本って? 何?」 という答えが返ってきて驚いたという 小さい頃親から絵本を読んでもらったことがないと言われたみたいだ

未熟さは素晴らしい可能性をもっている

それを伸ばすことができているだろうか

国会でヤジばかり飛ばすことも一つの方法であるだろうが

三宮を歩いていたり、電車で見かけたり、老若男女の生きざまやすがたはさまざま

そんなことを、寝ぼけまなこで考えてみた

あとがき20241020記

 実は、このブログ、全く読者数が伸びない 書きたくはないが、エイ!書いてみよう カウント数は8だ いまだ 全く人気がない なぜかわからないが、今後の参考になるヒントを含んでいる気がする

まず、写真のせいかもしれないと思ったので、入れ替えた 実は、入れ替えたら伸びたブログもあったので

そして、内容を読んでみると禅問答みたい、というより独りよがりになっている気もする それかも知れないが、まあ、写真を入れ替えてみることにした

一番いいたいことは、年少期の可塑性がある時代が一番貴重だということだ それは、心の心象風景を決めてしまう

私は絵本の存在を知らないで過ごすということは、少なくともなかった 漫画を読みたくて仕方なかったがそれはかなわなかったことは、残念だったが・・ 後年、大学時代を含め思う存分読んだけど

孫にはtaleを心に描ける人間になってほしいといつも思っている taleに浸る時間を保証するのは、次の世代への今の私たちの責任であると思うからだ

例えば、戦禍や貧困は明日の物語を夢見るどころではない 日本の今は、それを直視できないのかも知れないし、今の小生が一番みたくない現実なのだろう それを昔の人は無常観といったのかも知れない 若さがない、例えば引退を宣言されると、されたような気になると、高齢者のモチベーションはどうなるのだろうか

政治家がやりたくてもできないことだろうけど・・ taleよりmoney 

小生は重要なのはtaleと思う taleは想像力を生み出す 別にいうと創造力を含めた思考力だ 夢を語れて筋書きを書き己を鼓舞し読者を引きつける それがtaleと思っている どんな世界でもいいから羽ばたくためのリピドーを育てるものと勝手に解釈している 理化学の世界では、エントロピーかとおもうが、思想は全く違うからどういいようもない  

写真 元町 旧居留地近く 会社設立のため何回かかよった風景 しゃれている 映っていないけど高級ブランド店がめを楽しませる 旧居留地のハイカラさは、実は計算尽くされたある企業の理念の結果という ある企業とは写真に写っている企業 そんな会社に一歩でも近づきたいが時間がない