味の話をモーひとつ。
大学に入った時、上り坂の時。昔はミネラルウォーターなんてなかったから、水道水を飲むより仕方がない、というかそれが当たり前だった。
『ウヘーまずい』と思って吐き出しそうになった。
実家にいるときは、自家製の井戸水。夏は冷たく冬は温かい。今は、百年松やイチイの水やりに役立っている。
それが、進学後は(先日のブログに書いた)大河下流の水を処理したものだから、雲泥の差。関係者に申し訳ないが、これも井戸水にパワーがあったと思うようにしている。
この地方は、平成の大合併までは10の自治体に分かれ水道供給をしていた。その時の名残で地域によって水道の味に甲乙が残っている。山の流水をとりれる水道水は美味しい。海岸近くの井戸水のくみ上げは美味しくないというか、すぐ水垢が残る。
平成のはじめ頃、父親が「捨てるものがないか、あのタイヤやバッテリーは捨てないのか」、とかうるさく督促をしてきた。なぜかと聞いたら、不燃ゴミや粗大ゴミを捨てるなら無料のいまだというのだ。経費の有無が環境を上回っていたことになる。
ちょうど、リサイクルの切り替えや不燃ゴミや粗大ゴミの処理が始まる節目の時だった。例えば、冷蔵庫のリサイクルが確立したのは2001年というし、この地方に最終処分場ができたのが2003年という。
それまでは、この地区の旧自治体は、地区の山の上に運搬し大量に捨てていた。
それはちょうど、水道の取水口の真上の山だ。
そんなジダイだった。今思うとヘンというかダイモンダイだが、当時はソンナモンダ、で済ませていた。笑い話のような本当のハナシだ。
法律の整理が続き世間の理解が進み、地元議会でもサンジョウのゴミからの水質汚濁の危険性が指摘され、テンヤワンヤもしたがウヤムヤになった気がする。今でも残っていて、将来、ダイモンダイになるか、何万年後にはゴミカセキとして価値が上がるかも知れない。それまでに人類はいるかどうかは知るよしもないが。
ネットでは、『水は単純に純水であればおいしいとは言えず、「成分のバランス」と「飲む際の条件」がおいしさを左右するといわれています』という。蒸留水は味がないのはよく知られている。適度な冷たさの水は美味しく感じるとか、カルキ臭などの嫌な臭いがしないことなどはすぐ思いつく。
今は、引っ越したから、同じように川の上流から取水している地区に住んでいる。まあまあの水道の味かと思うが、沸かし湯を冷まして飲んでいる。
これも日々是好日が送れることに感謝しなければ・・。空気と同じようにタダと思いがちだが、押し頂いてうやうやしく頂戴するものかも知れない。
ハハァ~~・・! 氏神様
写真:上り坂の小学生たちは社会科見学かな (2023年9月撮影)2023.9.8日記