11代目のブログ

鯉のぼり

鯉のぼりの画像

 『みてね』というアプリがある。2015年頃から開発が進んだものだが、いまは全世界で1000万のユーザーがいるという。
 孫が生まれてすぐに、このアプリを使った画像が送られてきた。孫は2017年の生まれだから、ちょうど『みてね』の初期からのユーザーである。
 もうご存じの方もおいでだろうが、『みてね』は、写真のアップ側からのやや一方的なやりとりになってしまう。だから、双方向はLINEでやっている。また息子は会社の役員でもあるので、会社の会議は、ミーティングを使ったりもする。

 昔は大家族制度であったから、3世代がそろっているのは当たり前で、祖父母が孫の面倒をみていた。その時代はこんなタイプのアプリは必要なかったのであろう。
 ところが、いつしか高度成長の波や高学歴化、太平洋ベルト地帯の都市部に働き口が多く集まってきて、過疎問題が起き始める。
 今から、4,50年も前だが近所に退職後の生活を送っているご夫婦がいた。2人の息子は都会地で働き、男の孫ができたようだった。なぜなら、庭に竹竿がたち、毎朝鯉のぼりを上げている。毎日、毎日。当時は、そんな光景はこの地方では珍しかった。リアルな孫が住んでいるから、リアルな孫のために各家々があげていたからだ。

 当時は、離れて暮らす祖父母は当然孫を愛しむ。しかし、その姿を見るのは手紙で送られてくる近況で知るか、盆暮れの帰郷の時に会うくらいだったであろう。それか電話、画像はなく音声だけ。孫の帰郷も、どちらかというと母方の方が多くなりがちであろう。

 今は様々な手法で近況を伝えることができる。本当に便利というか、爺さん婆さんにとっては幸せな時代である。反面、極小さなおもちゃのような鯉のぼりもどきで孫は喜んでいる。鯉のぼりもたなびかせられない。

 孫が生まれてから6年近く経つが、アプリに掲載される毎月の『みてね』の画像から写真を選び、月ごとに薄いが冊子化されたアルバムを『みてね』の運営会社に発注して作っている。『みてね』のアプリ上で24枚の画像を選び、コメントを書き加えて編集できるようになっている。毎月、神戸へ1冊、手元に1冊届くようにしている。
 最近は、孫も『みてね』が届くのを楽しみにしているようだ。なぜなら、己の姿が可視化され、ひらがなのコメントも付いているからだ。そこには、父母が撮影した『みてね』の写真との対話もあるだろうし、ベストチョイスかどうかわからないがチョイスした爺さんの心の襞も感じるであろう。そこには、画像ベースではない紙ベースの発見があるはずだ。

 最近、書籍もそうだが漫画も端末を使って読むことが中心になっている。学びも教科書や黒板でなく、iPadのような端末をかなり多用しているようだ。

 私は紙派人間なので、新聞はもっぱら紙で読む。しかし、出かけなければいけない時は、スマホ端末で読むことになるが・・。やはり手軽でOTAだからこそ、紙からデバイスに媒体が変化し移っていくのだろう。
 
 このあいだ管理のためにある物件に寄った。そこには小学校低学年の子どもさんがいる。両親は共働きででかけているので共用部分で遊んでいた。遊んでいたというより学校から貸与された端末で大きな音を立ててゲームに興じている。
 こんなもんだろうと教育での端末貸与を冷ややかにみていたが、実際に目の当たりにすると、複雑な心境になる。

 日本や他の国の論文を含め、リアルな本の思考力、創造力への好影響力が論述されている。また、18歳まではゲームをさせないという方針を持つ富裕な家庭も欧米には多いとも聞く。

 孫もゲームはしたくてしたくて仕方ないようだ。
 ホテルに2人で泊まることもあるが、スマホをかしてというので貸したら、すぐ YouTube に入り込み恐竜ゲームを始めた。こんなに早くからやるんだと・・。

 遊び相手の中には、年上のゲーマーもいるから、2人で遊んだときに覚えたみたいだ。 

写真:おおきな水族館 手元はシンボルのお魚さんのぬいぐるみ この瞬間、異界へのトンネルにかなり顔を突っ込んでいる 5歳は異界に入れる最後の時代 リアルな世界でしっかり遊んでおくことだ 自宅に帰ってもいつまでも異界に出入りできる 1人でいても (2022年6月撮影) 2023.9.20日記