1月1日と2日は、大変でしたね
あけましてお○○○・・・ます、とは書けなくて上記のような標題になった。
前年末に書いたように、神戸に行っていた。帰ってきたのは昨日7日のお昼過ぎ、予定より遅れること3日であった。
まず、神戸の午後4時過ぎ、午前中から会議の連続で議論が白熱してきたところで、何となくユラユラする気がした。隣にいる役員に、「何となく揺れてないか」というと、「いやあ、地震だわ」という。それから、かなりの時間、長く揺れた。揺れは小さいのだが、いつまでも続いた。
東北大震災のように長く揺れて気味が悪かった。あの時の、怖さを思い出した。
東北大震災の時は、県北のある城下町で仕事についていた。午後2時過ぎだったか突然ドカンというような縦揺れに見舞われた。それから、約3分間だったというが、4階建てのビルの1階にいたのだがミシミシと今にも鉄筋コンクリートが壊れそうな音がする。
上層階への避難指示を出すかどうか、迷いに迷った。長い揺れが、何度も繰り返された、後で新聞報道では3回の大きい地震が続けざまに起こったとわかった。
結局、やり過ごしたのだが決断できなくて何もしないままだった。が、揺れは収まったし、物的人的被害はなかったが、今でもそのことは思い出して悔いている。
神戸の大震災は、朝方6時前であった。その頃は、まだ田舎の今住んでいる地方に住んでいて、その時間帯は起きていた。揺れはなかったが、テレビ報道が時間単位で次第に大事と判明し始め、初動対応が大きく遅れていることがみえてきた。
あれから、30年近く経つ。早いものだ。その神戸に年に何回も訪れて、しゃれた街を歩いている。3年前だったか、息子が県立美術館に行くということで、孫と三人で出かけた。美術館を見終えて、隣の震災記念館を訪ねたいと息子が提案してくる。まあ、それも良いのかと思い、入館した。まず順路は、エスカレーターで4Fから見ることになる。
最初は、震災のビデオコーナーである。映写時間××分とある。息子と孫は入っていったが、私は入れなかった。正視したくなかった。
ところで、神戸で能登の地震を知ったのだが、やはり会社の物件が気になる。また津波情報が入り、海辺の物件も気になる。電話をかけ始めるが、物件があちこちにあり、管理人が住んでいるわけでもない。私が社長兼管理人だから困ってしまう。物件毎に安否を常日頃から頼んでいるわけでもない。何カ所か、何とか建物周りを見てもらえるように頼めた。
ところが、2件目に電話して依頼しようとした職人さんは、ご自身の家が大変な被害を受けていた。勝手に電話をしたものの、ばつが悪かった。
非常用の対応を全く考えてこなかった。つまり、家庭でいうと非常用食料とか水の備蓄を全くしてこなかったと同じことだ。
そんなことで、妻は家に予定通り帰り、私は県庁所在地の物件の安否確認のため、ホテルに泊まることになった。
妻は「怖いなあー」といっている。外回りは隣家の人から見てもらい問題ないとは報告は受けているが、屋内の状況を心配している。一人で家に入るのを怖がっている。
それはそれ、新年が明けて、また日が1日1日過ぎていく。
写真 1月1日7:19AM ホテルの隣は高層マンション(撮影20240101) 2024年1月8日記