11代目のブログ

修繕か改修か新築か

修繕か改修か新築かの画像

 限界集落にある持ち家は、先代の私の父が相当な労力をかけて建物すべてを根本から手直しをしたものだ。

 約140年前の家だから、コンクリート基礎なんてない時代に建てられている。私の小さい頃は大きな礎石を並べてその上に柱が立っていた。壁は土壁で時折わらや土が落ちてくるし、床は幅広の板を並べたものだから、歩くとギシギシ言うし、隙間から床下の土間がみえる代物だった。だから、夏は涼しいが冬は隙間風が床下から襲ってくる。

 それを私の父がS大工と昭和50年代前後から、少しずつ修繕に加えて改修工事で住みやすさをレベルアップしてきた家である。例えば、シロアリが食っていた座敷の床の間の柱は、床下で切り取り根接ぎを行って蘇らせている。また、床の高さは従前とおりであるが、コンクリート基礎をつくり柱をのせ換えた。壁は漆喰を塗り、床板も新建材のフローリングとした。台所は、土間だったものを床張りにし、天井がなくて屋根まで吹き通しは寒いからと天井を作った。台所にあった炊事くみ上げ用の井戸も床下に隠れてしまい、電気温水器での給湯となり、風呂もいつのまにかタイル張りからパネル張りに変わっていった。

 昭和62年、同じ敷地内に離れを新築しそこに私たち夫婦は住むことになり、長男が誕生した。驚いたのが、父が「じゃあ、次は母屋を新築するぞ」と宣言したのである。
 それには、私の母が絶対反対の態度を貫いた。なぜなら、生まれたばかりの赤子がいる。赤子の面倒をみる場所や赤子の世話のための洗濯や炊事をするところがなくなるのである。昔は、母屋の建て替え時は、家人は蔵や納屋での仮設生活をおくるのが常だったからだ。1年近く、赤子の面倒を見ながら仮設はできないというのだ。

 で、父は新築は諦め、さらなる徹底的な改修に励み始めた。それが深山荘の今の姿である。

写真:イタリアに向かう(2017.12) 2023.7.9記