11代目のブログ

修繕か改修か新築か(その2)

修繕か改修か新築か(その2)の画像

 父がそう言うのを驚きを持ってその時は受け止めたのだが、今思うとその時の心境がよく分かる。
 父は、大正の末生まれ。再来年が生誕百年になる。昭和の年数に1加えると年齢になる。

 宣言は、63歳の頃である。S大工は父より10歳位若いから、五十代になったばかりで働き盛りである(今でも昔のトラックに乗っている、背は丸まったがお元気そうである)。父のいとこが、新築の日本家屋を建てたばかりでもあった。深山荘には大黒柱と呼べる柱がないから、昔から父は「大黒柱がない、大黒柱がない」と嘆いていた。いとこの家は太い大黒柱をドーンと立ててある。羨ましかったに違いない。
 それと、長いサラリーマン生活を退職するにあたって、農業機械を買って「農業をしたい、農業をしたい」と2、3年ぐずっていたが、それも私の母の猛反対で挫折に追いやられた。一方、父は根っからの百姓あがりで穀物や野菜の成長と収穫の喜びをよく知っていた。しかし、私も手伝えとか言われ、とばっちりが来る気がして、農業は反対であった。
 今思うと、退職後の暇を持て余していたのだ。父の望みを全部壊していたと思うと、切ない気分に少しなってしまう。

 そうした状況を一変させたのが平成2年にこの地方に大被害をもたらした台風第19号である。一夜明けたら、この地方の電柱が強い風で傾いていたのである。また、停電も数日続き、電力会社がロウソクを配ってきた。

 我が家は、母屋に一家全員が集まり、強くなる風音に青ざめていた。朝の3時頃に台風は最接近し、風が南風に変わった。そのとき、母屋の後に聳える先祖伝来の土留め兼北風よけの大木たちがスローモーションを見るように南風で北側にゴローンと倒れていったのである。木々たちは、北側の根っこは強いが、南風対応の根っこは弱かったのである。

 倒れたのはアテビであった。この地方では「当檜(アテビ)」といって重宝がられるヒノキアスナロのことで、檜の代わりに当てても良いぐらいの材ということなのである。
 ご先祖様伝来の木だから、父はそれを活かすことに全精力を費やし始めた。大工と相談して、大工自ら製材工場に張り付き、このアテビをすべて分厚い床材に変えてしまい、それを座敷前の廊下と御前(地元はオイエという)に贅沢に敷いてしまった。自然木であるから、一部の床材は太い節だらけの代物である。製材所もさぞかし刃先が傷んだであろう。また、他の材は一枚物の敷居にしたり、一枚物の縁側にも姿を変えた。

 木から枝葉を落とし、幹を切り、製材所に運ぶ。大工は監視役に製材所に何日も張り付き、節だらけの板にカンナをかけ、家の規格に合わせて切り口を入れる。そして、1枚1枚隙間なく整える。高度な技術も必要だ。

 何しろ、家は平行四辺形に縦横に歪んでいる。設計図なんて元々ないし、あったとしても現実の建物は歪み、設計図なんて使いもにならないのだから。

 多分、どこかの外材から作ったフローリング床材の十何倍も高いものについたはずだが、父はご先祖様の魂の入った木々をこの古い家屋に使うことができてさぞかし満足だったに違いない。

写真:家方向の冬景色 防風林に囲まれ家はよく見えない(2020年冬撮影) 2023.7.9