11代目のブログ

遅刻

遅刻の画像

 9月の中旬、1歳半の孫が39度台の熱が続き、食事どころかミルクも飲めなくなったと情報が入った。『みてね』には、母親の抱っこひもに抱かれぐったりしたショットがある。
 やはり、授かった命だから爺さんにはちょっとこたえ気味になる。ミルクも飲めなくなった、と聞くと。孫は2人しかいない。
 かかりつけの医院で点滴を受けて2、3日後には回復したようだ。

 昔、この子の父親も1.4歳の時に高熱を発した。12月の中旬だった。42℃前後が一週間も続き、なかなか熱も下がらず心配した。入院したものの医師からは疾患の原因も治療の方針も話しがなかった。どうなるんだろうと思いながら、仕事を続けていた。
 よく覚えていないが、家人は泊まりがけだったのだろうと思うが覚えていない。今は、恐れ多い存在なので聞かないまま現在に至る。
 正月が近づき、お触れもなく退院が宣告されビックリしたが、医師からの説明は何もなかったまま退院した。今思うと、ウイルス感染だったのだろう。

 さて、女の子が回復するとともに、5歳の誕生日間近の男の孫にうつったみたいで、またまたダウンし医院に直行したらしい。『みてね』に医院の子ども専用待合室で横になっている写真が載っている。

 本来なら、孫から孫にうつったと考えるのが普通だ。
しかし、別な見方もできる。

 とつぜんだが

 『生きにくい子どもたち:岩宮恵子著の本のなかに出てくる男の子の話』を思い出してしまう。
 
 良い子で生きてきて優秀な子どもであっても、ちょっとしたことで毎日の歯車が狂うこともあろう。

 5歳の孫は、妹が生まれとても可愛がってきた。小さい頃は、頭にふれ頰をなで、乳の匂いを愛おしむようになんかいもかいでいた。

 母親が4月から働き始めたため、妹も同じ保育園に一緒に通うようになった。お迎えが来ると三階にある自教室から降りて、わざわざ妹の一階の教室に入り一緒にお帰りの支度をする。
 
 ここにきて、やはりストレスが溜まっているような気がする。母親が妹ばかりかまっている、とは思ってもいないと考えるが、無意識の世界での母親への思いは貯まっているのかも知れないと、も考えることができる。

 何しろ、3月までは母親とふれあう時間は多かった。今は毎日の朝と晩は家族の時間が戦争状態だから。

 本来ならば、うつらないのかも知れないウイルスにうつることで無意識下での思いを伝えたのかとも思える。

 私自身、ついうっかりと、遅刻してしまうことがあると、無意識下の自分はそこに行きたくなかったのだろうかと自問自答することがある。

 それは、ある私の体験があるからだ。

 極多忙な日々を送っていた時期があったと書いたブログ記事が2、3あるはずだが。

 その忙しい時期の初期の頃、初期をなんとか越えた、一仕事を終えたと思ったときがあった。7月末であった。しかし、目の前には小さな、しかしとても苦手な、肌に合わない、ずうっとやってきて向かい会いたくもない仕事があった。そのとても小さい締めきりが目の前にあるだけだった。

 しかし、そのホッとした次の日に発熱し動けなくなった。結局、肌に合わない仕事はキャンセルになった。そして、高熱を和らげて欲しい医者に行っても、「風邪でしょう」だったが、熱が下がらない。結局、這うようにして次の日に解熱剤を頼み、すぐ直った。けろりとしたものだった。

 若い頃、同じ経験があった。朝起きたら出かけられない高熱。その日は、若い稚拙な仕事人には、負担になった仕事だったのだろう。関係者からは、私の悪口が散々出たらしい。身から出た錆を防ぐための無意識下の高熱かと確信している。

写真:巨木 何か人に思える  (2023年9月撮影)2023.9.30日記