今年の中秋の月は、割合満月に近いらしい。それは、暦上の中秋の計算方法と、月の満ち欠けは異なっているからだ。なぜなら、月は29.5日で満ち欠けするから、太陽暦の今の見方をすれば、ひと月そのものの概念が異なるからであろう。
ともあれ、和歌に詠まれている中秋はたくさんある。有名な地名、須磨に近いところに住んでいる身としては、少しは感慨にふけようと思った。
まあそんなことで昨夜は8時頃に写真でもとアパートを出てみた。
この季節の月が愛でられるわけは、秋は空が澄んでいる、月の高度が夏の高さもなく冬の低さもなく、見上げれる角度がいい、平安時代は街灯もなく暗い夜を月が照らすことを行事とした、とからしい。
遠い昔、小さい頃だが、今の深山荘でのことである。祖母や父母とあのだだっ広い家に住んでいたときは、「おいえ」という正玄関から客を迎えるように「御前」があった。
ネットで見ると「ごぜん」と呼び、貴人のための奥座敷の手前の間というような解説はある。
とにかく、私の家では小さい頃から「おいえ」は、奥座敷の手前の客人を迎える一室であった。それと、日当たりがよく前庭もよく見渡せる。
そこに、両親は中秋の名月を祝う席を設けていた。仏間から飾り机を持ち出し、ススキや柿を用意して、母親はぼた餅を皿に盛って、障子を開き月の光が差し込むようにしていた。
両親が亡くなり、そんなこと私がこまめにすることはないから、もう過去のものである。
さて、神戸に生活する目的の一つが、物件購入とその運営管理である。
すでに2月に2件購入済みであった。その契約のために、2月は二度ほど新潟と神戸を飛行機で行き来した。旅費も小さい会社には負担である。仕方なく、個人事業主分の収入を使った。もちろん、年末には経費で落とせないから、税金も必要になる。そして、その物件が、稼働していなかったのである。7月になっても、まあ放置されてような状況になっていたのである。それは、いずれも垂水にある。駅から2キロ圏内である。
それには事情があるが、それはそれで仕方がない。
神戸に来たときには、その都度少しずつ動かそうとするが、日程の問題とか土地勘のなさがそれを遅らせる。
8月の上旬、田舎まで連れ帰り数日の里帰りを一人でやり遂げた孫を神戸に届けた。行き帰りは伊丹を使いANAであったが、その独りの帰途は安いLCCピーチである。ピーチは毎日運行ではない。その隔日の日程にあわせてホテルで滞在して、孫のマンションを行き来したりしていたほんの2、3日のことであった。タイトなその日にちの間に今度は、須磨で物件が出たのだ。
最寄りの駅は、山陽電鉄月見山。買いの一報を入れて次の朝にとあるこの地方では名のある会社の営業マンと会うことができた。
そんなことで、縁ができ、契約も完了したのがこちらに来た日、8月22日の3日後である。やることがありすぎるからこの地に住むことにしたのだ。
さて、「月見」なのだが
やはり気になるのが、月見山駅の名前である。それも平安時代からの名勝、「須磨のうみ」のすぐそばに、ある。物件の前は、あの「西国街道」がとおる。
「西国街道」を、いままで東国風に「ニシグニカイドウ」と読んでいたが違うみたいだ。「さいこくかいどう」がいいのかもしれない。
気になっていたのだが、この月見山のずっしりと歴史あるような名前。堂々と日本地図に載っているのだから、それも名勝須磨の地である。
地元関西の人や、その碩学からみるとたわいもないことだが、今はネットがあるから掘ることはイト簡単
それは、皇室のこととつながっていた、須磨離宮 京に都があった雅な世界とつながっていたわけだ。それ以上は知らないし、それだけ移住してきた甲斐があったというものだ。
図書館に縁ができる
写真 9月17日の中秋の名月 午後9時頃である 福住にあがった名月
柿もぼた餅も全く食べないというか、好きでない。観るのも好まない。それはなぜか、フロイト流に念(おも)うと、多分意識下の問題というか、心のことなのだろう