いつも、旅に出ると思うことがある
日本であれば、見事に広がる田園の美しさ
フランスであれば、広がる牧草地と酪農の牛や羊たち
イギリスならば、イングランドやスコットランドの古代の営みを想う
こんなささいなことに気がついたのは、いつだったろうか 社会人としてある程度経験したせいだろうか
私の家の代々の仕事は農業である
私の先祖もそれに従事して、狭い農地を耕し営んでいたと小さい頃からの父の教えである
しかし、父の教えのなかに、我が家の初代は江戸中期に寺の過去帳に現れるのが戒名でわかる、と教えてもらった それはタコができるくらい聞いた
その意味がわかるのが後年であった つまり、どうしてもそのときに突然先祖が出現するのかが、理解できなかったからだ
年齢を重ねると、色々な知識が増してくる
あるとき、いつだったかは不明であるが、そういうことかと、腑に落ちた
我が家は、かなり山というか丘に近いところに家があり、周囲は木が鬱蒼と茂っているし、所有している田畑も緩やかな斜面にある
農耕の歴史は、平地から生まれている
私の祖先は、鎌倉時代まで湿地だったような平地で農業を営み、そこの次男などが移り住み、斜面の森を切り開き、一歩一歩開墾してきた人たちなのだとストンと落ちた だから、寺院が生まれ、そこが菩提寺となったということだ 菩提寺には、平地で農業をしていた家系の人も弔いに多く来る
そのことを普遍すると、明治十六年の家は農業を営む大家族制度のための生活空間である そうした祖先が大切にしてきたものをおろそかにできないし、そうした心は持っていないといけないと、もう心に染みついてしまっている
父親が、シロアリでボロボロの柱を大工の助けを借りて、一本一本、根元を継ぎ足し、再生させた
もちろん、床を高くして風通しを良くし、湿気を好むシロアリを防ぐような構造にした
しかし、こうした大きな無駄な生活空間はいつまでも続くものではない
いにしえの家系が残っているのは、天皇家などや、名門であるが、天皇家や冷泉家、お茶の裏千家なぞは続いている それは大変な重みを持つのだろう
おおかたはいつの間にか途絶えてしまう
ましては、物理的な建物などは、更にである・・・
それで、会社の名前は吉右衛門にした
「虎は死んでも皮を残す」
そういう意味である
それは、いいかえると土地、生活の糧である田んぼに執着してきた家系のかなしさでもある
写真 202306 フランス北部の牧草地 北ノルマンディーはこれが広がる 6月の青空と草原のコントラストが爽やかで美しい その背景は名もない人々の開墾と耕作の歴史が詰まっている ミレーの晩鐘の世界を感じる