ある時、某所の建物に一月半缶詰になることになった。衣食住つきでそれは快適といえば快適なのだが、一つ困ったことがあった。それは、電話は取り次いでもらえなかったことである。
その頃、ようやく初期のガラケーが普及の端緒についたころであった。肩掛けの電話が進化してポケットサイズになったが世の中はまだまだポケットベルか固定電話の時代だった。それで、基本料や通信料はえらい高い時代だったが、背に腹は代えられなかったので、買っちゃったよ、になった。
パソコンは、MS-DOSの時代から持っていたから、その頃は既にメールをやっていた。メールといっても、現在のメールとはちょと違って、インターネット回線でなくNTT回線を使っていた。だから、OTAではない。確か、某所に行った後に初めてInternetというものの存在がちまたの素人に語られ始めたような思い出がある。
ウィンドウズ95が出たのが1995。その頃からまた急激に変化が起きた。アイコン、マウスなど、慣れるのが大変だったし、MS-DOSと違って益々ブラックボックス的になってしまった。ただ、良い時代だったかどうかは知らないが、分厚いマニュアルがあり首っ引きで格闘できたしそれで格闘せざるを得なかった。
そうこうしているうちに今度はi-phoneなるものが売り出されるというので、世間がかまびすしい。これも、すぐ飛びついた。が、マニュアルが付いてこなかった。マニュアルがなくどうしたら良いかもわからない。大体、初期の機種にあったi-phoneの「ホーム」ボタンの使い方もなじむのがなかなかであった。
i-phoneを買ったのは、実は周囲にいるある若い男性が買ったのをみてかっこよさそうで欲しくなったからだ。こういうことは昔からミーハーだと思う。
電話は何とかできたが、それ以外はできないまま二ヶ月が過ぎた。これではダメだと一念発起。そこで、くだんの男性を飲み屋に毎夜毎夜誘って、飲ませながら少しずつ聞いていった。まず男性に質問すると、すぐにウーンといってインターネットに繋ぎ、画面を食い入るように見つめ、「こうかなあ、ああかな」何かつぶやきながら、教えてくれる。ネットを探さないとできないのか、と妙に感心するとともに若くもない自分の脳裏を使いこなせないのではという不安がよぎる。
だいたい、アプリの入手方法がよく承知できない。そして、i-tuneやサファリって何なのか。Internet Explorerはi-phoneにはないのか。
Macは使ったことがないから余計手強い。MS-DOSがこびりついていてMicrosoft Windowsになって大変だったが、それ以上。
自分自身それまではアプリ画面をタッチしてソフトを動かすなんていう概念なんてなかった。アカウントも手に負えなかった。アカウントとは何かも、なぜ必要なのかもわからないし、一人ひとりがいくつものアカウントを持つなんて思いもしなかった。アカウントは、会計とか口座と直訳される。銀行の口座を思い描いてはため息をついた。
当初は、電話とメール機能だけしかできなかったが、そのうち習うより慣れろで次第に使えるようになってきた。でも、本当に使っているような感覚には、いまだなれない。いつまで経ってもよくわからない代物だ。そこが、物心ついたときには、i-phoneを皆が使っていた20歳代以下の世代との大きな違いなんだろう、と思うがそれはそれだけとも思う。
まあ、そんなことで今に至るわけ。今は、4台目を使っている。
Jobsがガンを公表して自宅闘病しているとき、シリコンバレーのアップルハウスを訪れたことがある。外から見ただけだが・・。リンゴがなっていた。
本当に、とんでもない機能を持たせ、生活道具として必須のデバイスにしたものだと思う。
やはり、Jobsは尊敬できる。
写真:大阪中之島美術館 (2022年6月撮影) 2023.9.17日記