11代目のブログ

ダイアナ

ダイアナの画像

 今日は、昨日までの天気が嘘のように荒れている。
 風が強く、這々の体で家に戻ってきた。
 
 このブログは、元々、自分が生きている証拠に書いているようなもので、まあ、暗くならないようにしようと、これだけは気をつけている。

 ブログのカウンターが伸びているような気がする。ほとんどが100を越えることはなかったのが、100を越えるのがチラホラ出てきている。
 『日々是好日』とか『涙腺組織の下り坂』などは、ここ2、3週間で倍増している気がする。
読者は、60代を中心とした男性と想像しているが、単純なカウンターなので中身は不明である。増えた理由もわからない。

 乳牛製品関係者がみてくれたのかとも勘ぐったが、関係はないだろうな、とも思うし・・

 昨日の続きを書こう。
 送っていただいたお酒のうち紹興酒は家人がもらう、ということになったが、実は家人は料理酒として使いたいからだ。しめしめと思っているようにみえる。また、台湾のお菓子は、お世話になっている健康グループの先生が台湾の方なので、グループの会合でみんなで食べようという魂胆なのだ。

 さて、残りの2本はどうしたかって?
 1本は、いつも海の幸をいただいている自動車屋の社長に、もう1本は『動脈硬化』の追記に出てくる建設会社社長に持って行った。
 自動車屋の社長からは、金目鯛やサザエ、アワビなど海の幸をいつもいただく。船を持っていて、漁協に所属しているのである。簡単に言うと、家人同士に行き来があるのだ。
 建設会社社長の方も家人同士の付き合いがある。よく鮪の握り鮨を2パックだったり、新鮮なヤリイカをパック一杯詰め込んだオリをいただいたりする。寿司は自分で握るのだが、玄人はだしである。若い頃、そういう仕事に就いたことがあるようだ。

 なんと、次の日は

 前者の社長からは、新潟県のある有名な酒蔵の5合瓶をいただいた。奥様が持ってこられた。

 ラッキーhappy

 後者の方は、持って行った次の日にバーベキューへの招待と相成ったのだ。しこたま、ブログ『黄色いタイル』にでてくる酒蔵の銘酒を飲まされた。

 結局、台湾の中国酒2本は、日本酒に化けたのである。

 台湾旅行の話しに戻る。
 2日目、高雄の観光をするということで、午前中は主に寺めぐり。午後になったら、別な妙齢の女性が2人現れて、いつの間にか朱さんは消えてしまった。どこだったか覚えていないが、まあ、名所をそのお二人は案内してくれた。1時間半くらい経つとまた、別の妙齢の女性が現れて、先ほどのお二人は消えてしまう。これを3回繰り返したら夕方になって、朱さんが現れて、またスクーターの『おなかの周り』となった。

 あとで気がついたのだが、朱さんの友達を総動員して、私の相手をさせたということだ。朱さんは仕事に出かけたのだ。でもねえ、せっかく会えたのに何ぁーんにも、その人たちと親しくなれなかった。
 別に懇ろになりたいというのではなくて、半日くらいは一緒しないと、なーんにもわからないうちに、お別れとなる。つまらないものだと理解できたのは、有益だったかも・・

 ママの家に帰ると、朱さんとママが話していて、明日は「ダイアナが来る」という。何のことだと思ったが、何度も繰り返して私にいう。

 次の日、朱さんはスクーターで出かけた。するとスクーターの後にこれまた賑やかな女性を乗せて戻ってきた。またまた、トランクが挟まっている。
 ビックリすることだらけだ。

 この女性、「ギャーギャー」とうるさいくらい陽気である。使用言語は、なめらかなイングリッシュ。朱さんも結構なめらかな英語で答える。
 彼女が香港から来た『ダイアナ』だった。
 高雄から香港まで飛行機で1時間という。しょっちゅう『ダイアナ』は泊まりに来ているという。
 その逆もしょっちゅうらしい。
 旅行先で知り合ったらしい。
 国際的だなあと羨ましかった。

 彼女が来たら、観光に出かけるときは、スクーターは2台となった。
 前にも書いたが、今度はママのおなか周りに手を回し後席に座ることになった。

 手の長さは同じなので少し密着度が上がったみたいだった。
 でも、ママも上手いのなんの、交通の激しい道をスイスイ。

 そして、並行して走る隣のスクーターの後で『香港のダイアナ』はギャーギャーと楽しんでいる。
 小生はやっぱり、スクーターの後は少し怖い。

 まあ、泊めてもらっているから、何があっても仕方がないか。

 でも、完全に女性のなかに放り込まれるとは・・
 思いもしなかった変な旅・・・

写真 荒天前の予告の空 このあとすぐものすごい雷雨 (2023年12月撮影)2023.12.7日記