11代目のブログ

シャドウ

シャドウの画像

 ここ何日か、帳面付けをしている。簿記は知らないので、単純にエクセルで一覧表を作るのと、証憑(しょうひょう)を貼り付けるだけである。
 外は涼しくなったし、剪定もしなければならないのだが、この仕事が一区切りするまではその気にならないでいる。

 毎日は、同じような生活パターンの繰り返しのうえ、結構以前から朝から晩まで一室に籠もっているから家人としか話さないことの方が多くなってしまう。
 この地方は、デパートや大型ショッピングセンターもないし、常設の映画館はない。小規模の博物館や美術館はあるが、何となく行く気にならない。県庁所在地にはある程度そろっているが、そこには車で気軽に出かけられない。そういえば、ユトリロ展も終わっちゃったか。

 気分転換はある図書室である。

 平成の大合併から20年になるが、合併後、数年して図書館の集中化が市当局から発表されたことがある。つまり、旧10市町村毎に設けられていた図書室を減らすということだ。
 その頃、小学校や中学校の統廃合も教育委員会から提示され、その後、時間をかけて整理が進んだ。今は、旧5町村は小学校は町村1校だけで、廃校となった数カ所の地区はスクールバスの送迎になっている。その他の旧市町村の小学校や中学校も統合が進む。中学校も統合されたり、残った極小規模な小、中学校とで〇〇小中学校というように工夫がなされたところも幾つもある。
 旧市町村体育館や市民会館や市役所支所も、老朽化したところから取り壊されたり、小さく建て替えられたり、計画が進行している。 

 図書室を減らすということは、私にすると意外だったが次第に反対の声が大きくなり、結果的に撤回された。それだけ地区の身近な図書室を使っている人が声高ではないが静かに多く存在していて、本を借りて読むことや図書室で静かに過ごすことが文化として定着していたのだと思った。そういえば、近所のUターンの人(県庁所在地に本宅があるが生家に住んでいる)の姿を地元の図書室で見かける。本の貸し借りをよくしているみたい。
 
 コロナで逃げ帰った話しをしたが、帰ってみるとある支所に附属してる図書室が改築されていた。というか、古くなった支所の建て替えの時に、4階(最上階)に広々とした形で新たに設置されたのだ。広々としているのは、津波の災害時の避難場所として考えられているみたいだ。
 
 新聞は家で中央紙をとっているが、どうしても地方紙をみないと。地域密着の些細な情報も必要だ。そこで、物件管理を兼ねて4、5日おきにそこへ出かける。眺望の良い窓辺にゆったりと座り、30分くらいで数日分に目を通す。気になった記事を中心にさらーっとしか読まない。1日分は、5分~10分か。

 ガソリン代が今高いから自宅で購読した方が安いくらいだが、出かける口実になる。

 私の物件を3、4カ所検分しながら、片道15km。車の運転は、自我によって押さえられている前意識や無意識下にあるシャドウな記憶・思いを探すことができる。

 ふと気になっている内容が無意識下から湧き出してきて吟味すると、考え方の方向性の間違いに気づいたり、逆に良いアイデアが浮かぶこともある。

 しかし、前無意識からシャドウに向かわず、時間が経つだけの時の方が多いかも知れない。自然に無意識が沸いてくれば良いが、やはりリピドーの力も必要だ。

 ただただ、運転しながら流れる景色に目をやってお終いになることもある。                         

 今日は、エネルギーがないようだ・・

写真:窓からみえる遠景 シャドウに入れてしまった写真のような不思議な気分になる (2022年11月撮影)2023.9.15日記 

追記 ある地区の図書室も改築されて最上階に開館するという                                                            その真下に私の物件があるから、検分がてら今通っている図書室と相互に通える、その時が楽しみだ