農業に関する不動産所得について2回書いたが、多分ブログの人気はないと思うので、大上段その3は後回しにすることにした。
私の生まれた古民家は、明治16年。その後の建て増しで、延べ床面積は300m2はあると思われる。確定できないのは、中二階や物置があるからである。物置といっても、クローゼットの倉庫版である。広い。
今は、貸家である。
そこで、別な家に住んでいる。これも、延べ面積はよく知らないが(婿同様であるから)、240m2は確実にあるであろう。築35年くらいである。
相当な屋敷である。
その家で2室を借りている。部屋代は払っていないが、肩身は狭いところもある。
1室は、寝室としてあてがわれた和室で、10畳くらいかもしれない。
もう一つは、事務処理用にあてがわれ、パソコンやプリンターのおかれた部屋。キッチンの隣にある居間である。こちらも約10畳くらい。まあ、この家の顔である。
ところが、家が動脈硬化を起こしているのである。
ブログ【地平線】を読んでいただけるといいかも。
家の動脈硬化とは何か。
一つは、上水道やボイラーからの温水のパイプという動脈の目詰まりである。昔は、鉄管を使ってため、錆で管が細くなり、チョロチョロとしか出なくなるのである。今は、プラスチックを使うので問題はないが、改修工事は家人の心の変化待ちである。
もう一つは、皮膚の膜である。家全体に張り巡らされている、毛細血管で支えられている細い動脈に異変が起きる。簡単に言うと、カーテンとか壁紙が紫外線による硬化を起こし、何とか対応をしないといけない状況になる。
私は気にはなっていたのだが、住んでいる人は割合慣れていて、そのままにすることが多い。
いいかえると、生活習慣病を放置していることと同様な状況である。それをどうするのか。医者に行って処方箋をもらうのも大変であるし、手間や金もかかる。
婿だから、何も言えないが、時々はぼやいてきた。それが功を奏したのか、今の壁紙を張り替えをしようかと、家人が提案してきた。渡りに船である。ついつい、費用は私が持つといってしまった。
居間には、巾が160cmもあるようなテレビがある。そのテレビは、斜めに置いてあり、私は一度もみない。そして、テレビの奥にコンセントやアンテナ線などのコンセントがあるが、パソコンやプリンターの電源である。この雷ではつけ外しが激しい。まったく使い心地は最悪である。腰をかがめて、手探りになる。
さらに、私はテレビをつけっぱなしにする習慣がないのである。というか、音や情報の垂れ流しが嫌いなのである。
どうもその辺は、私が普通でない気がする。障害を持っているといっても良い気がする。
だからこそ、障害の人と普通の人は異なるものでない、境がない単なるホモサピエンスなのだと思う。
私は心理学的には音に対する嫌悪感の傾向があるのであろう。子どもや大人のなかには、広告媒体の女性の顔が苦手で強烈な症状を頻発したり、街中に流れる広告音が嫌いで防音イヤホンを常用する人もいる。
私も、交通機関で移動する場合は、場合によっては防音イヤホンが欲しいと思うことがある。
さて、大きなテレビを家人の了承を得て居間のなかでも適切と思われる場所に動かした。でかすぎて重すぎて、この大きな家の中でも持って行く場所がないからである。家人は、あそこ、ここはどうかというが、問題が大きい。
まず、重すぎて2階には運べない。奥の座敷はどうかというが、部屋が狭くなるし、だいたいそこにも120cmもあるテレビが鎮座している。
テレビがありすぎるのである。全く!!! それも特大。
しかし、はっきりとは言えない。そろそろと遠回しに言うだけ。婿同様だから。
そうして生活習慣病に対してAntiを図り、工事してできた部屋。
年のせいかあまり感動はなかった。居間は35年間の紫外線で、ベージュの布製の壁紙が焦げ茶色になっていたものの、布製の風格があったからだ。今度は、単なるベージュ系統のプラスチック製でしかない。
しかし、今朝、仕事をこの部屋でしていて気がついた。
テレビを動かしたため、眺めを楽しめる窓が全開になっていたのである。今までは、窓の三分の一がテレビで遮られていたのである。
窓と言っても、普通の窓の面積の1.5倍はゆうにある。もちろん二重窓という念入り。35年前ということからも贅沢である。腰の高さは、60cm位しかないから、テレビが風景を遮っていた。
荒れた農地がみえるだけだが、空がみえる。空間が広がった。
大きなサイズでのテレビを私はみないが、家人の父親は晩年まで楽しんでいた。
テレビを動かして欲しいとは言えても、家人の心が動かない限りはできない。
それを経験してきた今までの人の思いというのかも知れない。
と、心の動きの面白さを心地よく感じる。
写真 あるブロンズ像 (2023年11月撮影)2023.11.18日記
追記 先日、ある建設関係の会社の社長から呼ばれて、バーベキュー会で楽しんだ。そこにもある人との出会いがあった。この青春女性像の話題であった。女性は、「この地方には結構夫の作品があるんですよ。それは石膏ですか」、と聞いてくる。「いやあ、ブロンズだったのではないかなあ」と酒の勢いで言った。
責任はとらなければいけない。行って確認した。
ブロンズだった。嬉しかった。造ったのは恩師だからである。