八代さんが亡くなった
ショックだった
別に会ったこともなく、コンサートに行ったこともなくて、人生の通りすがりの人と思っていた。
昔、40代に私の仕事場のルールで大学院留学ができないので、別な方法で6ヶ月東京目黒のとある国立研究所にいたことがある。
近くには、有名人が何人か住んでいた。目黒ではあるが世田谷に近いところに彼女の住居があるという話しは聞いていた。でもそれだけ。
八代さんの歌声、それは才能なんだろうと思う。
私みたいな凡人にはわからない。彼女は優れた画を描いたという。
脳の表現する部所の力が普通の人と違うのだろう。表現力に優れていたと思うより仕方がない。
なぜ、こんなことを書いているかというと、仕事するときいつもゆったりとしたピアノ曲やジャズの響きしか聞いてなかったのだが、今、バックグランドミュージックで彼女の声を聞いている自分がいるからだ。
演歌というジャンルというが、その素地には浪花節やその延長のジャズ的な要素があるという。
私は、音楽的な素養はない。音痴である。
それが、彼女は私の脳に安らぎを授けてくれる。
昨日、BSで演歌歌手の総出演の追悼番組をしていた。
視ていて、何ともいえない気持ちになった。
みなさん、八代亜紀さんの傘の下で生きてきたのだろう。傘のしたのもあるだろうし、傘同士仲良くさしていたのだろう。
羨ましい生き方だ
じゃあ、おのれはどうするか
どうにもできない
いまのまましかない
若い人は、違うよ まだまだだ
一方、小生は、今のままではあるが、あらがっている
それがいまのままの姿
橋本様 ありがとうございました
写真 昨日の景色 突然雪が平地に近づいてきた (撮影2024年) 2024年2月25日