2日の間に、数回市役所に通った
近年、新築もされ旧庁舎とつながり、一新されている
案内システムも変わったし、部署もどこにあるかよくわからない
まず、建築課を探す
昔は、旧庁舎の3階にあった
同じところだろうと目星をつけているのだが、行き方がわからない
っというか、旧庁舎はエレベーターがなく、階段も急で狭くて嫌な感じであった
とにかくあの登りにくい階段は嫌だ
新しくなり、総合案内と番号票の自働受けつけ方式になっている
「建設課は昔と同じ旧庁舎3階?」と聞くと、総合案内の女性が「そうですね」と答える
そこでそちらのほうに向かう
十数歩で、目の前に新庁舎のエレベーターが現れる
これで行けばいいのか、旧庁舎につながっているのか迷う
十数歩戻り、彼の女性に聞く
「あのエレベーターは旧庁舎につながっているの?」
「はいそのとおりです」と歯切れ良く答える
鄙には珍しい女性だと感心する
鄙とは、意味合いがいくつかあるようだが、
この場合は、ハッとするようなの意味
戻ったとき、その女性は私に、「○○さんですよね」という
これが一番嫌なことである
旧知であることを明確にされると不安になる
居直るしか仕方ない ハジの人生を送ってきたと思っているので・・・
「誰?」と聞くと、「△△です」という
よくよくみると、約30年前の彼女が浮かんできた
少し昔話をしたのち、お父さんの近況を聞く
この人のお父さんは、陶芸家であった その弟は、竹芸家である
まあ、芸術家の一家である
建設課に行き戻ってくると、「ご用は足りましたか?」と言う その昔からそういったことがいえる方であった なるほど、この場所は適任だわ!と思う 小さい自治体だから1人部署 毎日大変だろう
「お父さんは元気?」と聞くと問題があるみたい フーンと思うが、もう80歳を超えている方である
そこで、昔お願いしたがその方が無回答であったことを聞くことにした
その陶芸家は、若いころは登り窯で焼いていた
昔、同僚が彼の湯飲み茶碗をもっていた 羨ましくて、あるとき欲しいと彼に所望した 「・・・・」であったのだ 聞いたときは、登り窯でなく電気窯になってしまっていた
「ありますよ」と女性はいう 「1つ欲しい」という つまり、登り窯のでつくったものを私に分けてくれるということである
期待して別れた
今愛用しているのは、時々写真に出てくる河豚の茶碗である 人間国宝のデザインである
元々彫金の大家(宮中納入品もある)であるが、戦中は金属が高価になり陶芸で生活を営んでいたからだ
大家の弟子がその後も作陶していた それを今から30年前に手に入れたのだが、気に入って数個まとめて購入した。
その中で一番気に入ったものを長らく使ってきたが、約20年前、あるとき来客が慌てていて私の机に激しくぶつかり壊された かけらを集めたが父親がよく知っていて茶渋でつなぎ合わせてくれた その後も使っていたが、今度は自分がいつだったか落として壊した
2つ目を蔵から出してきて使っていたが、2年前に自分のミスで落としてひびが入って、少し漏れるのだが風情があると思い使っているのだが、パートナーに嫌われて、神戸に行く前にお役御免に相成った
そこで、スペアーのスペアーをとりだしてきて、使い始めたら神戸の台所が狭いために転がるように、スローもションをみるように落下、足で受け止めようとしたが外れてしまい、粉々・・
瞬間接着剤で繋ごうとしているが、これが難しい 忙しいので仕方なく100円ショップで買ってきたどうということない白い茶碗を愛用し始めていた
思いだす同僚の茶碗 その登り窯で作陶した茶碗は、下ぶくれで不格好ではあるがそれはそれ そして色合い 青緑の地と茶色の色が良い感じに、そして複雑なグラデーション 味がある
そんなことで、地籍図をとりにったり、印鑑証明を取りに行ったり、あしげく何回かいったのだが総合案内の脇を通らないと、住民課には行けないので、仕方なく声がけをする
もう行かなくていいと思った帰り、お互いの近況をちょっと話した
「今神戸にいるんだよ」というと、「驚いたように、どこですか、良いところですね」という 「どうしてそう思うの」と聞くと「私□□で生まれたのです、叔母も◎◎にいます」という
陶芸家は、丹波で修業し神戸の人と結婚したというのだ
遠くを見るように、「住みたいなあー」という
そういう人もいるのか・・
写真 六甲道付近の街路樹のたたずまい 少し秋を感じる テクテク約2kmのみち 図書館に向かっている 撮影は2024年10月の中旬