11代目のブログ

ある一日

ある一日の画像

昨日、朝9時頃王子公園の坂道を登っていた 家に帰るのは、二つあって、一つは新緑に包まれた王子公園の一角の坂道だ これは孫の通学路でもある 他は、直登して帰る方法である 神戸に来た当時は脚力がなく、迂回する公園道を使っていた 夜は使わない 気味が悪い

何となく、ムシャクシャしていたので、公園道を選んだ 朝もはやく、帰ったら一度寝ようとも思っていた ベンチに詰め襟の高校生が座っていた この高校生の学校、明らかにすぐ近くの某高校の男子生徒である

孫の住居から一番近い高校に属する 一度、ヒアリングをしたいと思っていた

例えば、「山のどん詰まりまで毎日通うのはキツいよね」とか

まず、ヒアリングの可否を問うた OKがでたので隣に座った 自己紹介を簡単にし、怪しいものではないことを理解してもらった

内容は、個人情報に関することはほとんどないが、やはり属性についても10%は含まれるので略する

そうか、と思った 後期思春期の思索をしている うらやましく思った やはり未成熟の人の持つ可能性、可塑性の高さである
誰もが通る道であるが、悩ましくも、毎日を送っている 辛いだろうなと思った

この地を知らない人は理解できないだろうが、今いる場所は灘駅から1.2km、高度差25m位 彼はこれから、そのくらいは優に登り切らないと学校に着かないのだ まあ、それは致し方ないのがこの地の常識 神戸大学だって、同じ高度にある 彼の高校より大変かも知れない

彼に問うた 「歩かなくていい方法があるの」 「この上の山麓の横断道路にバス停があるんです バスを使う方法があります」 「あとちょっとじゃないの、無駄ではないの」 「いや最後ののぼりがキツいんです ○○坂かと皆で言ってます」

いやはや、である

励ますにはどうしよう やはり思いつくのは、小林秀雄の言葉だと 又聞きであるから、フレーズは
原典に当たっていない 意味は「その人が運命をつくってしまう」ということらしい

つまり、運命は天から降ってくるのではなく、その人が自ら選ぶことで運命づけられというのだ
このブログのどこかに書いた気がするが、確かに自分で選んだ地に住み職を得、家族を形成する それによる被る出来事は運命かも知れないが、確かにその環境は自分で選び、新たに創ったものである そう、例えば、山際の危険地帯に建物を造ったのも、それは運命 かもしれない

だから、自分で選ぶことのできる今を大切にしろと伝えたのだが、それは独りよがりの話

家と学校の分かれ道まで同道しようと提案して、200m先で分かれた 厳しい坂を上って行かねばならない 学校まで それは別な意味での暗示である

そんな、出会いが二つ 早朝のお茶を飲む男性 そして詰め襟の高校生 運命は節度のないまま、また一日歳をとり、今日は土曜日


朝9時出発、板宿で物件の鍵を2つ複製し、不動産屋2つにそれぞれ届ける 駅が離れているので、結構大変 若いときならほんのいっときの仕事であるが、今はもうだめ 物件広告の準備であるので、やっておかないと田舎に帰れない 二つ目の不動産屋、アルバイトの若い女性と話し込んでしまった まだ二十歳前か すっかり仲良くなった それはそれでいきさつがあるのだが、略

その帰途、もしやと思い、近所の今月末契約の物件を見に行った 「やっぱり」である 現在の持ち主が、亡母の使っていた家具などを業者依頼でトラックに積んでいる この仕事をやっていると、亡き人の住んでいた痕跡を見ることが多い それは見たくないものであり、こうした業務を生業としている人々のご苦労を感じる そんなに大きくない家だが、中型トラックの2台分に入るかどうか 己の人生もそんなもので終わるのか・・ 1台か2台分 捨てられるだけだが・・


そして、午後は孫の送迎である それはそれで至福の時間である

いったん戻り、お昼を食する
住まいの入り口までついたら、大家さんが植木に水やりをしている 私より10歳くらい上の女性で元気な人である 会釈をして部屋に向かおうとしたら、家賃の振り込みが毎月、1日~月末までバラバラなのは困ると話し出した 振込期日を毎月一定の日にして欲しいというのだ

衣の下から鎧がみえた気がした

「私の場合の店子さんは、皆さんバラバラですよ」とまで言ってもかみ合わない 大家は「じゃあ、いいです」という あんまりである 「余計な心配かけて」とかいたわりの言葉くらいあってもいいのにと思うが・・ 人生はそんなものだ これも運命か 自分で選んだすみかだ 運命ねー、嘆息である

契約書にだって、前月末までとしか書いてない 経理事務はお足をいただいている人間の仕事と思ってきているから、なんともいいようもない

このことは、己を振り返る良い機会としたい 私の店子にも失礼なことを言ってないのかと・・ 「他山石可以攻玉」 他山の石である

さてさて、愚痴はやめよう しかし、書くことは考えること
エッセイは、心の思いを述べる場所 ただし、読んだ人を不愉快にしない範囲を守ること
そして、お互い励まし合えるよう、拙いフミ(文)をなんとか磨くこと

、かな
、と念って(おもって)いる

写真 孫との帰路 光る線路の曲線が面白いと思って撮った 20250419

ヒアリングでは、この地の公立高校生の進路選択の過程をそれとなく知ることができた
ほんのわずかだが、孫の進路選択の一助になると思っている
それと、かつての高校生の自分を思い出した
あのときは、困っていたよなあ、と