中島みゆきの詩
その曲の冒頭
『中卒だから』ということばがある なぜ、彼女の歌は、己の心に突き刺さってくるのだろう
彼女の素顔はどこにあるのだろう
地上の星もそうだ
『風のなかのすばる』
といっても、それは何を思い浮かべるのだろう
北国のいっときの夜の晴れ間に覗ける、瞬く冷えた真珠のようなかがやく、小さな星々の集団 だろうか?
それは、聞く人それぞれの その人の念いでしかない
さて、先日の土曜日 ダブルブッキングしてしまった
それは、孫の授業参観日とある人と会う約束が重なってしまった
ある人とは、灘駅で出会った、私と同年代の人である
その人との出会いは、かつてのブログ ”であうということ”に書いた
4月の中ごろである
その人から、蛸をもらった
瀬戸内海の豊穣のかたわれである
そんなものをいただくなんて、初対面(正確には2度目)の己には、なんともいえない、心持ちになる
まあ、一時間ほどご一緒させていただき
会話した
蛸は、処理して冷凍になっているという それは2匹あり、食べ方を伝授していただいた まず、塩もみして表面のぬめり取りをしなさいということだった
そして、お土産袋に入っている、同梱してある出汁をつかうと蛸ご飯が美味しいですよという、ありがたいお話である
ただ単に、お互いの気持ちがなんとなく出会っただけであるが、また、次に、そう、一月後にお会いしたいとも思った
さて、その日の午後は、孫のセミナーである その母親が近所まで送ってきて、それから私がセミナーの付き添いである そのとき、母親に袋ごと渡した 酒のつまみにはなるが、それより、孫たちにお裾分けしたいとおもったからだ
「そうなんですか 蛸ですか」と何か自信なさそうな顔つき
さて、こどもたちや勤め人にとって貴重な日曜日の夕方
携帯に着信があった
孫の父親である
何だろうと思うと、「蛸の唐揚げを食べに来ないか」、ということ
そんな食事の誘いは、神戸に来て初めてである
近くに住んでいても、そのへんの法(のり)は越えないようにしてきたつもりだ
蛸がらみであるので、まったく手ぶらでぶらぶら坂を下りていく
スマホ、忘れたなあ、と思ったが、それはいらないと切り捨てた
着くと、小2の男の子は、昨日買ってあげた本でも読んでいるかと思うと、ロゴブロックを楽しんでいる
もう、こんなに大きくなったのに、保育園の遊びかよ、と思った
それは、どうなんだろうか 発達段階として、と思う自分がいる
へえー、と感じる
まだ、異界に入れる力があるんだと、意外に思える
異界に入るとは、具体的に言うと、サンタクロースを信じていることと、Equalである
食卓は、蛸の唐揚げが饗される
ブロックのご本人も「席について」という母親の言葉にグジュグジュしながら食べ始まる 孫娘は、昼寝の続きでぐじゅぐじゅしながら寝起きが悪い 隣の寝室の寝床である かわいいものだ
約二時間いて、辞去
蛸ご飯は、二、三日後に供されるようだ 私の口に入るかどうかは知らないが、間違いなく、この家族が楽しめる そうした話題が供されるのが、とてもありがたい 私の新しい友人に感謝である
さて、もうひとつ
前から、ちょっとした話題になっていたが、どうも男の子が音を理解できているという、ことが親の2人が言っている
私の父親・母親の家系は音痴である それは、自他共に認める 私のパートナー系列はそうではないようだが、・・
嫁はピアノを中3まで習っていたという 別に裕福でもないと思える普通の家庭である
しかし、それを経験したということが、孫の心を豊かにさせてもらえているきがする
『それ』、とは三つの要素がある 幼児の刻、母親に連れられてピアノ教室に入った まず、良き指導者 次は、母親の支援 その教室では、何人もの人が習ったが、小学入学時、残ったのは母親がピアノをした経験がある4人だった つまり、初心者の刻に母親の支援がないと難しい習い事かも知れない そして、groupの存在 ピアノと戯れるようなピアノの遊びができる友達
何か、ピアノを習うことの条件をいうなんてつもりはない ただ単に、この子の指導者が相当厳しい指導であるため、それから離れて、他の指導者が向いている幼児もいるのだろう 最初は、続かないかと思ったが、何とか踏みとどまったようだ ただそれは、偶然が生んだ関係性でしかない ほんとうにのんびりした子であるから、なぜ残ったのか不思議だ ただ、ここでの厳しさとは、練習の大切さ 復習の大切さである そして、音を友達と思える柔軟な心をもてること それは、絵本や遊具で、異界を楽しむことと同じ気がする
蛸の唐揚げ夫婦がいう この孫は、音を聞き分けられるようだという
つまり、曲を聴いて音階をいえるというのだ
そんなことってあるのだろうか、と思う この穏やかな、のんびりした育ち方の子である
ギフテッドではないと思っていたし、それよりは日々に習慣で母親のアタッチメント(ぬくもり)が大切と思い続けていたのに、それなのに、別な、”音”というか、文字とは異なる楽譜の世界というか、そうした技術が幼子に定着したということなのだ、その話は私の心の糧になる
こんな子なのに、2回程度、保育園年中のとき、ストリートピアノを弾いたが、その後、今日に至るまで、ストリートピアノは「弾かない」と避けている どういう心持ちなのか、全くわからない 学童保育では、夕刻になり友人も1人減り2人減りして、母親の迎えが遅いときには、弾いているとも聞くが・・
本好きな男の子 ではあるが 結構元気に駆け回り、運動もそこそこできる 単に内気というわけでもないようなのだが・・
よくわからないことも多いが・・ しかし、いつになっても、ギターやトランペットやフルートやバイオリンやドラムを叩けるような、音という世界を表現できる人間がうらやましかった自分がいる
そう、孫は眼にいれても痛くないという、言葉もあるが、
えエー、痛くないどころか・・
写真 嫁の処理した蛸 これにおよばれしたのだ 20250608 そのときのことがらを書いただけだ
孫馬鹿である 失礼・・