11代目のブログ

ふれあい

ふれあいの画像

新聞の定期購読をやめることとした
理由は、あまり熱心に読まなくなったからだ

それは、どうもトランプのやり方というか、その非情さが嫌いだからだ 観ているだけで不愉快だ 戦いばかり求める 国際関係ということやヒトの生きてる姿に深い洞察がない 紙面でそれを再認識するのは苦痛だ
それもあるが、神戸を去ろうかと思っていることもある 田舎でも某中央紙をとっているからだ
さらに、読みたいなら、神戸なら街角でいつでも買える

反面、今はネットで情報が入るとしても、やはり情報が不安定であることはペーパー時代の人間としてはよくわかる 深い人間の積み重ねてきた歴史というか、文化が情報のバックボーンとして肝要だ

神戸を去るといっても、この事務所は閉鎖しない 必要があれば、いつでも住むつもりであるが、仕事が資金不足で枯渇してきたのと、今までの仕事で一番難しいことが終わったからだ

孫もいれば女医さんもいる いきつけの歯医者も灘にある 事務所は、ホテル代わりに利用できるし、いつ何時会社の情勢が変わるかも知れない ホテルはコストパフォーマンスが高い 反面、連泊しないと昼時は休めないし、予約が面倒だ

13日は孫のミニコンサート 小さな喫茶店で行われるという Dちゃんという男の子との離別のリサイタル 彼はアメリカに赴任するお父さんとともに南部の州に行ってしまうという 年少の頃からもう4年近く、毎週土曜日午後に戯れてきた、親友だ

その次の日に、田舎に戻る コストパフォーマンスのいい神戸-新潟便で帰る どうしても帰る必要がある仕事 
そしてまた、22日に神戸に戻るがそのトキエアの便はとれなかったのでまた敦賀経由でトコトコと地上を戻ってくる

それは融資してもらった月見山の工事がその日から始まるからだ やはり工事を見に行くと新たな発見があるからだ こういうこともするんだとか、こうもできるんだとか それは今後の仕事にとても役立つからだ

完了予定は、お盆前である

写真 20250708 半年後の購入物件の姿 庭木の処理などいろいろなことがあった 苦労もした

まだ、絵本を引きずっている それは、親との関係性である 彼の本は、本嫌いにするのは簡単であるという 例えば、絵本を読むということが、文字を覚えさせるツールとして使うとか、幼子に絵本を選ばせればいいということであれば、嫌いにさせられると言い切っている

逆に、肌感覚が必要だとも述べている

カウンセリングの基本を聞いたことがある
それは、寄り添うことであり共感することだと

だから、全身で幼子に伝えないといけないことなのだろう つまり、絵本を読むこととは、読み手が包み込むような態度があれば、それはそれで満点なのだと、私は思いたい

そして、彼女は
『絵本は、テレビやビデオとちがって、そこには触れあいがあるのです。心のこもった言葉で語られる音声言語と、目前で展開する視覚言語と、触れあいを通した接触言語、この三つの言語が心をこめて同時に語られる愛の体験であるのです。』
とも書いている ”同書,p92”

場をあたためる、とか 場がこおりつく、とか
それは、音声言語や視覚言語の限界を示していると思うのです

接触言語は、やはりヒトとして、動物の持つぬくもりを求める精神構造の表れかも知れないと思い至っていますが、いかがなものでしょうか・・

もうこのテーマはおしまい、おしまい