22日 るんるん気分に近い感覚で神戸に戻ってきた
それは、さまざまな交通機関が円滑に流れて、最速の時間で神戸に戻ったからである
使った交通機関とは、高速バス、路線バス、北陸新幹線、快速電車などで、計12時間の旅である
坂をのぼり、部屋に入り、しなければならない用件を片付けられるくらい疲労感はなかった
その気分のまま、次の日も早朝から行動をはじめた
8時半頃出発し、その前日から工事の始まっている一戸建ての改修工事を見にでかけた
帰ってきたばかりで、冷蔵庫は空だから途中どこかでパンなどを仕入ればいいかと、飲み物だけを持ってでかけた
最寄りの駅から、徒歩7分くらい
大工さんたちとは初対面だから挨拶をして、近くの不動産屋まで行くことにした
不動産屋は、定休日であった
何か疲れたし、電話もしたいのだが座るに適したところがないが、木陰があり、仕方なくそこにべったり座って長電話をはじめた
そしたら、行く人行く人、何人かが「大丈夫ですか?」と声がけしてくれる
すこし、疲れ気味かと思いながら、ここ2,3日ひげを剃ってなくて無精ひげ姿とべったり座り込んだのがいけなかったのかと思いながら、2、3カ所長電話をしていた すると通りかかったパトカーが停まり、お巡りさん2人がこちらに向かってくる こりゃまずいとおもって、立ち上がり元気そうななりをして、職務質問を避けた
そのまま、工事現場に戻ったが、家の中に入っても何か立ちくらみがするので、休憩しお茶を飲んでから、駅に向かう
ところが、とても疲労感を感ずるとともに、視野いっぱいに光が飛び始めた というか、木陰にあふれる太陽の木漏れ陽みたいな輝きみたいなものと、めまいみたいなフラフラ感が襲ってきた
なんとか、駅に着き電車に乗りホッとするが、症状はでてくる
三宮で用事があることを思いだし、降りてフラフラと歩き回り、用件を済ますがさらによくない
座れる場所はほとんどない地区である しかし、思い巡らしあそこならとおもってその場所に座るとウトウトとする 眠いというより、虚ろになっている
そこで、小一時間座っていた よくよく考えると寝ていた気がする というより、気を失っていたのかもしれない
そして、いつまでも症状は追いかけてくると思いながら、電車に乗り王子公園駅に着く あとひと登りができない 途中、2、3カ所で居眠りしながらなんとか部屋に着く
そのまま、浅い眠りが続き、東京の長男から仕事の連絡があったときに、この話をすると妻や神戸にいる次男に話したらしい
夕方、次男がタクシーで迎えに来てそのまま医院に連れて行かれ、点滴をし次男宅に強制連行
次男夫婦は医療関係者であるから、判断は確かなのだろう
そのまま、一晩ご厄介になった
「熱中症の治療法I度の治療ナトリウム含有液の経口摂取(口から摂取する方法)手軽に手に入るものとしては、市販のスポーツドリンクなど」((https://medley.life/diseases/54ee8da0d05b85100190f796/ 参照 2025年7月25日))
結局、自分のからだの血液バランスが崩れていたということなのだが、それには経緯がある
簡単にいうと、2、3年前から老化に伴う腎機能の低下に対して、塩分を摂らない食事療法を行っていたのであるが、夏の暑さですっかり塩分が汗になってからだからなくなってしまっていた
それと完全な水分不足 有名な某ドリンク液が大好き、言い換えると嗜好物であり、どうしても代謝で水分が不足する
いきつけの腎臓内科の女医さんから、梅干しを食べなさいといわれるくらい血液中の塩分が不足しているのは知っていた 血液検査を毎回やっているからだ
『過ぎたるはなおおよばざるがごとし』なようなのかもしれない
つまり、孔子のいう、中庸なのだが、それはたいそう難しいということなのかも
中庸かあ・
孫たちは一晩すごく喜んでくれたが、周りは迷惑なことだったであろう
散々、塩気と水分だらけの食事や飲み物を摂らされ、布団で静養して、昨晩夜にタクシーで帰還した
という、顛末
写真 20250725 次男家族からもたされた塩分補給グッズ 塩入り茶がゆなどETC 食生活のコントロールは無頓着の性格には、苦労の連続だなあ、と思い 苦痛感が残るが、しかし健康を長く維持はしたいし・・
まあ、中庸、中庸・・