幼い頃、そう昔の夏休みを思い出している
家の庭で、虫、つまりセミ、オニヤンマ、アゲハチョウ
蝉といっても、ツクツクホウシ、アブラゼミ、カナカナゼミ 夏の経過とともに変化する
夏休みの後半には、畑を中心にバッタやコオロギが出てきた
畑からは、父親が丹精込めてつくったトウモロコシ これはおいしかった それにスイカ それはあたりはずれや、あまり大きくなかった ちまたに流通しているおおきなスイカではなかった さらに、えだまめ、これはいつも不味かった あとは、ありきたりの酸っぱいトマト、巨大なキュウリ なんというか、おおあじであった
そんななかで、夜は寝苦しいときもある 蚊帳がありそれはそれでおのれの世界が広がっていた カトリ線香のなんともいえない空気が流れる
つまり、どうもそんなことが季節を感じて、そして時間を過ごすことができた
ど田舎なので、都会生活とは異なるのだろうが
きのうのいちにち、男孫はそばにいてみていると、マンションの一室で遊んだり、本を読んでいるし、課題のパソコンのキーボード練習には熱中している
そして、そのなかでのつぶやきが気になる
(夏休みの)時間がつまんない、とつぶやく
昔と違い今は、学童保育がある 今日は、嫁の母親が来てくれている なぜなら、やはり夏休みでもあり、自宅でのびのびとさせてやりたいという親心である それなのにそれも退屈気味であるが、しかし、その時間が息抜きであるようなのだが・・
フーン、そうきたか、である
発達段階で、児童・学齢期に移行したなという感覚である
異界の世界、つまりおもちゃや絵本を楽しむこともあるが、それに飽き始めているというか、思春期の芽生えすら感じてしまった
そして、そうした楽しさを探して退屈さを思う一日を送り、夕方母親が帰り、食事を用意しているのに、食卓に向かわず、ついに母親と口論になった さらに悪いことに、物理的な接触、押し問答になってしまった
そんな姿を見るのは初めてだ 口出しもできなく、見守るだけだ
反抗期の芽生えと私にはみえた
そして、彼はその思いの処理ができない それとは、どこへ向けたらいいかわからない感情であろう
怒りでもなく、恨みでもなく、どちらかというとやるせない気持ち
それが、孫の心に向かって突き刺さる それは、泪となりながれる
みていて切ないが、声をかけられない
3歳になったばかりの女孫がそばで声をかけ、手でさするが、からだを硬くしておさまらない
生まれたばかりの幼子だった娘孫を宝物のように触っていた男孫に対して、反対に心から慰めている
なんともいえない気持ちだ
不器用なので、一回だけ頭をなでた
いつまでもその姿を見るのはいやなので、午後8時前後だと思うが、辞去した
そのあと、軽い熱中症から回復した身はタクシーで部屋に戻った
写真 撮ったのは20250725 孫のマンション 描いた日時は不明 誰もが加齢とともになくす、幼い異界に住むそのこころ
それは表現している線描のままであると、彼女のこころねを感じる