神戸からヘトヘトになって田舎に帰ってきた
暑さで限界
と思い、緑豊かな別荘に避難してきた
そうしたら、帰りの新幹線が越後平野に入ると、西方に雨雲の列
そして今日が2日目
線状降水帯が日本海西部から東北にまで延び、覆い被さる地方の干ばつは全て解消したようにみえる
よかった
虫の音も聞こえる
ところで、東京の出版社によって本の装丁や本文の型式、後書きなどの打合せをする
本文の型式とは、縦書き横書き、字の大きさ-ポイント数、段組の有無、写真の配置などなど、多岐にわたる
そんななか、孫の画帳を送っておいた
本に使えないかという思いからだ
不思議な提案があった
全面につよい赤といくつかの緑の塊が描かれている不思議な抽象画にも見えるようなえ
それをブックカバーに用いるという
「それは、多分、生田神社ですね」と答えた
下の孫娘が、生まれた年の秋分に地元生田神社で『お喰い初め』をおこなったとき、社務所の待合室のひま時間に男孫がその風景を思うままにクレヨンでなぞったものである 絵の奥に、柱だけの家屋がみえる
まあ、象徴 それかユングのいう原型のひとつなのかも
今回のDTP担当者、というか本の校正と編集をしていただける方だが、
その方と話しが弾んだ
賃貸業のこつ、とか、ブログはどんなことを考えながら書くかとか、だ
観念で書いているのですかというといかけには、ウむーっとなった それはちがう なにか無意識か、意識下から湧いてくるもの、そこに憑依してことばがおのずから紡ぎ出される感じ 憑依というと違和感を感じる方もおいでになると思うので、いいかえると『思い入れ』という意だが、それでは少し弱いので強い印象を与える語を用いた
それと、もう一つ発達心理と幼児教育との違いとか
これは、やはり松居友さんの本がらみである
小さいころ、そう3歳半くらいから男孫と遊園地に一緒に遊びに行った
恐竜フィギュアと遊んだり絵本を読んだりするのも好きだが、外でも遊ぶことが大好きな子で、育てやすい子だった
一計を案じ、小さなスケッチブックとクレヨンを持っていろいろなところにでかけたとき、遊びのあいだに絵を描かせた 好きなように
ただし、白いところは残さない
自分の感じたように、一層懸命かけ、ということは常にいっていた
いつのまにか、絵を描くのが好きになっていた
そのかわり、風景は好きだが、人物画は鼻をかくのを嫌がり、のっぺら人間しか書かない
強制しても始まらないと、爺さんは思っている
ああかけ、こうかけは、きょういくでしかない
遊びの延長上の絵を描いて欲しいとだけ願った
小学生になり、初めての『図画工作』の時間
先生は、『おひさま』をかいてください、といった
彼は、この本に使った『おひさま』をえがいた
それは、彼が知っている自分の思いを表現しただけ
彼はかれの胸の内に退行しているのだろうか
それとも彼の無意識からほとばしり出たものかも知れない・・
写真 20250805 6:00発新幹線のぞみ 早朝の富士 富士川鉄橋上に、ヌッとあらわれた 東京着8:25 それから京葉線八丁堀駅近くの出版社へ