11代目のブログ

AGNI-C

AGNI-Cの画像

 昨日は寒かった。気温が低いだけでなく、猛烈に吹雪いた。粉雪が舞い散っていた。
 この地方は、雪はさほど多くはないのだが、何しろ風が強いので、年寄りにはこたえる。

 今日は一応少し収まったので、諸用を足しにでかけた。
 一時間ちょっとで帰ってきたのだが、もう出かける気はさらさら起きない。

 確定申告も近いので、その準備をする。会社の最終決算予定をにらみながら、個人事業主の経理を進める。
 今日のところはいい線がでたので、雑用を始める。

 まず、昨日偶然出てきたストーブの保証書を取りだして、書き始める。
 あの時は、本当に楽しかったなと思い出したら、何か不思議な気分になっていた。

 母親が亡くなったのが、2016年の10月。
 それを機に、したいしたいと思っていた明治16年の家の工事を始めた。
 まず、トイレを改修した。
 母親という人間は、何でも大きいことが好きというか、戦前の生まれなので物持ちがいい。それで、トイレが各種そろっていた。
 ウオッシュレット付洋式と和式の大小とが並んでいた。
いやはや、民宿ができそうであった。今でいうと民泊かあ。

 洋式を残し、あとは撤去した。和式の空間は、収納庫になったり、洗面台を入れたりした。

 虫対策に、6カ所の窓をサッシに変えた。何しろ、その季節になると蜂やカメムシなどが入り込んできていた。自分の寝室も四方に断熱材を入れて、暖かく住めるようにした。

そんなことをしながら、新年度を待って市の補助金申請をした。
 補助金は改修工事に出るし、ストーブの補助金もあったからだ。

今回の最大テーマはキッチンとボイラーの新設と配管の更新であった。今までは、深夜電力を使う電気温水器であった。

 あ、これではいつになるとストーブの話しが出てくるかわからないので、ここでストップ。

 ストーブを使うことに至るまでは、結構迷ったし、研究もさせられた。
 変な言い方だが、ストーブについてだけではないのだ。

 まず、両親が整備した空間を取っ払おうということが、当初から私の頭にあったのだ。
 それは、生まれたときから幼少期にかけてみていた、なじんだ風景、勝手場天井の赤松の横柱をむき出しにすることなのだ。

ということは、大空間になってしまうから、暖房をどうするかということだ。
 ファンヒーターを何個並べても追いつかないはずだ。

 さて、またハショッらないとストーブに行き着かない。

 ストーブのカタログをながめ、showroomを訪ね、あれもいい、これもいい。ちょっとこれ素敵なんだが、発熱量少ないからあきらめるか、とか。
 いつまでも決まらない。
 この時が、1つの醍醐味。
 でも、使ってもまた幾つも醍醐味が現れるのがその後の『オーロラ燃焼のある火のある生活』。

 それも端折ろう。

 そうこうしているうちに、通っていたあるshowroomで、いつも相手していただいている、女性のガイドさん。この会社では、『支援員』というらしい。
 その支援員さんが、Aaじゃないkoじゃないといっている私に、「2階の私の机の前には、showroomにはおいてないストーブがあるんですよ」という。

 それがAGNI-CCだった。
 一目で気に入った。
 今までみてきた外国製とは違う、全く和的なものだったからだ。

 それまでは、アメリカ・カナダ製もみるが、ビッグである。北欧製はこれまた鋳物より鉄板製が多くスマートなデザインは素敵だ。

 鋳物製のドイツ製が気に入っていた。ほとんどそれにしようとしていたところであった。あとは、大きさだけになっていたところだったが・・・

 岐阜の関、刀の里で知られる街を訪ねていった。そこでAGNI-Cと初めて会った。

 会社では、暑い夏なのに、「上手く焚けるかな?」といって見事に燃やしてくれた。
 夏は気温が高く、煙突の吸いが悪く、燃やすのが難しいと初めて知った。

そんなことなど、あれこれ思い出したら、気持ちが揺らいでいるおのれのこころにきづく。

 お昼時、古い家並みの、川沿いのとあるうなぎ屋に寄った。店の名前は忘れてしまった。
 関には、うなぎ屋が結構あるそうだ。

 素敵な薪ストーブの生まれ故郷を訪ね、古い街並みの使い込んだ店ではウナギを焼いてくれた。

 川沿いだったかもアヤシい。それに、ネットに尋ねないと、ウナギだったか蕎麦だったか、カツ丼だったかも覚束ないくらいのいい加減さ。確かなのは、名古屋からレンタカーだったから、一杯はしてなかったことくらい・・

 しかしこうしてかいてくるとさらにゆらぐきもちがただよう、それをあじわいながらかいてきた・・

 オーロラ燃焼はゆらぐ みていて何ともいえない 退行しているオノレがみえる

写真 深夜で真っ暗ななかAGNIが燃えている (撮影2017年12月4日) 2024年1月26日記